牧野康重「小諸城主(藩主)牧野家初代」

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元禄十五年(1702年)、越後国与板より1万5千石で入封。5代将軍綱吉生母桂昌院は叔母にあたり、幼少より大奥への出入りが許されていました。
小諸への入封時「喜内様・お福様」の木造が下賜され現在も保存されています(徴古館)。
以来明治の版籍奉還まで約170年間10代にわたり小諸城を居城としました。(喜内様とは3代将軍家光、お福様とは春日局)
牧野家は戦国時代、三河国牛窪(愛知県豊川市)を本拠地に「常在戦場」を家訓とし、徳川家の譜代大名として徳川政権を支えました。
越後長岡を宗家とし、笠間、田辺(舞鶴)、三根山、小諸と合計石高214千石をもって幕府要職を務めました。

~戦国ウラ話~

牧野家の家紋は三ツ柏ですが、宗家長岡藩旗紋が五間(五段)梯子(ごけんはしご)なのはご存じでしょうか。
時は戦国時代、敵方に追われていた牧野のお殿様は領民の家に匿ってもらいました。
領民は機転を利かせ何事もなかったかのように納屋に梯子を立て掛けておいたところ、敵方は気づかず通り過ぎ、殿様は無事逃れきったという逸話が残っています。
牧野の殿様は領民をこれまで以上に大切にしようと決心し、その心を忘れないため、以来旗紋にしたと伝わります。
小諸においてもその意志は継がれ、10代にも渡り領民を大切にした牧野政権が続いたのでしょう。