武田信玄

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天文二十三年(1554年)鍋蓋城以下諸城は、戦国最強の騎馬軍団を率いて勇名を轟かせていた甲斐の武田信玄の侵攻で手中に落ち、約三十年間武田氏の城代によって支配されました。
信玄はこの地の重要性にかんがみ、重臣に鍋蓋・乙女城を取り込んだ新たな縄張りをさせ城郭を整備、統合的な大城としたのが小諸城の原型となったと伝わっています。

~戦国ウラ話~

・信濃の国の大部分を支配していた信玄は、甲斐・信濃共に海がなく塩が大変貴重だったことから塩の備蓄のために信濃の各地で味噌づくりを奨励し「陣立(じんだ)てみそ」という戦(いくさ)飯(めし)を考え出しました。
信州はもともと良質の大豆や米がとれ、昼夜気温差の大きい内陸気候も味噌づくりに適していたので信玄は積極的に信州の味噌を買い上げ兵糧(ひょうろう)を確保したといいます。
信州みそのルーツが信玄の戦飯であり、信玄の強さを支えていたのが信州みそだったのです。

・現懐古神社(本丸)横の左手にある鏡石は武田の軍師として名高い山本勘助が朝に夕に顔を映し出し、自身を省みたと伝わっています。