木村熊二と小諸義塾

小諸義塾記念館
【木村熊二記念碑(小諸城址・懐古園内)】
小諸義塾記念館
【小諸義塾記念館】


 木村熊二は藤村の恩師です。神田淡路町の共立学校(のちの開成中学)で英語を学んだ関係性であり、藤村は高輪台町教会で熊二から洗礼を受けました。

 木村熊二は、出石藩(現・兵庫県豊岡市出石町)の藩士の家に生まれます。幕臣として勝海舟の下で活動しますが明治3年小弁務使森有礼の一行に加わり渡米します。アメリカで牧師となり、帰国は熱心なキリスト教的教育者として女子教育に従事します。

 明治18年、明治女学校を設立。

 明治26年、小諸の青年・小山太郎らの熱い要請に応えて、小諸に私塾「小諸義塾」を設立し、島崎藤村や画家の丸山晩霞ら多彩な教師陣を招き、青年教育にあたりました。

 木村熊二は、小諸で青年教育のほか、洋桃や苺の植栽・缶詰製造を推奨したり、懐古園の南に鉱泉を堀削して中棚温泉の素を築くなど、地方産業にも大きく貢献しました。

 熊二は中棚温泉の傍ら、千曲川を望める立地に書斎となる「水明楼」を建て、そこで藤村や晩霞らと夜遅くまで語り合ったといいます。

 小諸義塾はその後、旧制中学校として認可されますが、明治39年、小諸義塾が財政難により閉塾すると木村は長野市に移住、大正6年に東京へ戻り昭和2年83歳でこの世を去りました。


小諸義塾記念館

 明治26年11月、西欧の新しい文化とキリスト教の信仰を身に着けた木村熊二が、向学の志に燃える、小諸の青年・小山太郎らの熱い要請に応えて、高等小学校を卒業した青年らの勉学の場として誕生した私塾です。塾長は木村熊二。小諸市耳取町に開塾しましたが、初期の校舎は大手門などを使っていました。明治29年に信越線が開通して間もない小諸駅の南側に塾舎本館を建築しました。

 当初は塾長・木村熊二の卓越した見識を慕って集まった家庭的な塾でしたが、その後、有志たちの支援により明治32年には県の認可を得て正式な私立中学校へと発展していきました。

 木村熊二の招きに応じ、島崎藤村(国語・英語)、鮫島晋(数学・理科)、丸山晩霞(図画)ら多彩な教師陣による充実した教育が行われ、多くの有能な人材を輩出しました。

 しかし、日露戦争を契機にして諸問題が起きて、明治39年に閉じざるを得なくなりました。

 閉塾後、塾舎本館は小諸市内の田村病院に移築されていましたが、小諸市が寄贈を受け、旧地にほど近い場所に復元され、小諸義塾記念館として公開されています。

■住所   〒384-0032 長野県小諸市古城2丁目1番8号
■電話   0267-24-0985
■開館時間 9:00~17:00(12月~3月は9:00~16:30)
■休 館 日 年末年始(12/29~1/3)、12月~3月(第2週)まで平日休館。(土・日は開館しています)
■入 館 料 単独券200円、懐古園共通券500円
  • 小諸義塾記念館
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