小諸ゆかりの文化人小諸ゆかりの文化人

島崎藤村

島崎藤村

島崎藤村は、明治、大正、昭和の三代にわたって息の長い活動をつづけた日本近代文学を代表する作家です。
“まだあげそめし前髪の”と歌い出される「初恋」が収められている『若菜集』の詩人として登場し、“小諸なる古城のほとり/雲白く遊子悲しむ”の「千曲川旅情の歌」などが収められている第四詩集『落梅集』を最後に、詩作から決別し小説家へと転身していきました。藤村最初の長編小説『破戒』は日本自然主義文学の記念碑的作品として高い評価を得て、日露戦争後の文壇をリードしました。以後、『春』、『家』、『新生』、『夜明け前』に至るまで、自らと周辺の人々をモデルとしてリアルな小説を描き続けました。その作風は自然主義と呼ばれることもあります。
白鳥映雪

白鳥映雪

小諸市滝原地区出身の日本画家、白鳥映雪画伯〔大正元年(1912年)~平成19年(2007年)〕は、美人画の巨匠、伊東深水に師事し、後継者として日本画界を牽引してきました。
深水の指導のもとに制作された昭和25年作の「立秋」では、ビルの屋上で語らう時代を反映した3人の女性像を抒情深く表現しました。円熟期の平成4年から平成6年の間に制作された「羽衣」、「菊慈童」は、日本の伝統芸能の能楽と日本画が融合した幽玄な世界を描きました。
平成10年には、日展顧問に就任。平成15年に脳梗塞で倒れ、利き腕の右手が使えない中、左手で絵を描き続け、「不屈の画家」と称されました。

高濱虚子

高濱虚子

明治7年、伊予松山に生まれた高濱虚子は、郷土の先輩・正岡子規に兄事。俳誌「ホトトギス」を舞台とした文芸活動は俳句、写生文、小説と多岐にわたります。太平洋戦争の戦火を避けて、小諸に疎開。厳しく美しい風土に接した虚子の詩精神は新たな躍動を見せ「小諸時代」を現出しました。
洋画家・小山敬三

小山敬三

小山敬三は、世界の絵画を変えた印象派の発祥地フランスで絵を学びましたが、その新しい動きの元にある西洋芸術の伝統に目を向けました。帰国後は、子供の頃から親しんでいた日本の芸術の精神と、西洋で学んだ技術によって、新しい日本の洋画を築いた先駆者の一人となりました。