中棚荘と水明楼

中棚荘
【中棚荘】
水明楼
【水明楼】

 明治31年開業の老舗温泉旅館「中棚荘」は、島崎藤村が足しげく通った宿であり、「千曲川旅情のうた」の一節にも“岸近き宿”として登場しています。

 島崎藤村は恩師・木村熊二に教師として小諸義塾に招かれる以前から、小諸の木村の書斎を訪ねてきていました。木村熊二はアメリカで医学を学んでいたこともあって中棚付近の湧水を使うと、切り傷の治りが早いことに気づきます。木村熊二が協力し、長野県に鉱泉の効能分析を依頼、そして明治31年に「中棚鉱泉」として開業するに至りました。

 当初は大衆浴場いうスタイルでの営業で、矢場が設けられていたりと近在の人たちの娯楽の場所として賑わっていたようです。小諸に赴任してきた藤村も、生徒と一緒に鉱泉開発に携わっていたという話も伝わっています。開業の翌年、旅館としての営業を始めました。

 藤村がよく通っていた様子が、『千曲川のスケッチ』にも書かれています。


『千曲川のスケッチ』

 八月のはじめ、私はこの谷の一つを横ぎって、中棚の方へ出掛けた。私の足はよく其方そちらへ向いた。そこには鉱泉があるばかりでなく、家から歩いて行くには丁度頃合の距離にあったから。
 中棚の附近には豊かな耕地も多い。ある崖の上まで行くと、傾斜の中腹に小ぢんまりとした校長の別荘がある。その下に温泉場の旗が見える。

-中略-

 この連中と一緒に、私は中棚の温泉の方へ戻って行った。沸し湯ではあるが、鉱泉に身を浸して、浴槽よくそうの中から外部そとの景色を眺ながめるのも心地こころもちが好かった。湯から上っても、皆の楽みは茶でも飲みながら、書生らしい雑談に耽ふけることであった。


 (千曲川周辺の自然を愛していた木村熊二は、眺めのよい中棚の地に、士族の屋敷にあった書斎を移築し書斎としました。「水明楼」と名づけられ、ここで島崎藤村や丸山晩霞、三宅克己らと夜遅くまで語りあったと言われています。囲炉裏で静かに呑む人だったようです。楼上の欄干に身をまかせながら、愛する千曲川の眺望を楽しんでいた藤村の姿が思い描かれます。)


 この温泉から石垣について坂道を上ると、そこに校長の別荘の門がある。楼の名を水明楼としてある。この建物はもと先生の書斎で、士族屋敷の方にあったのを、ここへ移して住まわれるようにしたものだ。閑雅な小楼で、崖に倚よって眺望の好い位置に在る。

-中略-

 水明楼へ来る度に、私は先生の好く整理した書斎を見るのを楽みにする。そればかりではない、千曲川の眺望はその楼上の欄てすりに倚りながら恣ほしいままに賞することが出来る。対岸に煙の見えるのは大久保村だ。その下に見える釣橋つりばしが戻り橋だ。川向から聞える朝々の鶏の鳴声、毎晩農村に点つく灯あかりの色、種々いろいろ思いやられる。


初恋の日


 「初恋」が世に出たのは、明治29年10月30日。

 それを記念して中棚荘が日本記念日協会に申請を行い、1999年10月30日に「初恋の日」として制定されました。当時の日本では、好きな相手と自由に恋愛し結婚することはまだまだ一般的ではありませんでした。自分の気持ちに正直に恋をする若いふたり。その姿は西洋文化が流入した「新しい時代」の幕開けにふさわしく、大胆で新鮮なものでした。

 中棚荘では「初恋」をモチーフに、10月から5月ごろまで内湯の湯船にりんごを浮かべる「初恋りんご風呂」を楽しめます。中棚荘の入り口には「初恋ポスト」と名づけられた赤いポストが立っています。“初恋”を思い出しながら、小諸へ旅をしてみませんか?


<島崎藤村ゆかりの宿・中棚荘>
■住所 〒384-8558 長野県小諸市古城中棚
■電話 0267-22-1511
■HP  https://nakadanasou.com/

<水明楼>
■住所 〒384-0032 長野県小諸市古城乙1210(中棚荘敷地内)
■入館料 無料
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