北国街道・小諸宿みどころ北国街道・小諸宿みどころ

北国街道

 「小諸宿」には、今でも江戸時代の建物や街道の遺構が数多く残されています。
 小諸宿にある江戸時代の建物の特徴は、建物正面の2階の軒先が低いことです。これは、参勤交代の大名行列を見下ろすような居室を造ることが禁じられていたため、通りに面した二階の軒を低くし、「厨子二階」と呼んで物置として使っていました。現在は、その後の道路拡幅により多くの建物の軒が切られてしまいましたが、江戸時代には、建物の軒先は最長で約1.8メートルほど出して造られていました。
 「小諸宿」は、中山道からの分岐宿である「追分宿」から数えて一つ目の宿場町です。「小諸宿」には、周辺の村々の人びとを移して、市町、本町、与良町がつくられ、宿役を行いました。慶長8年(1603年)には宿場が成立していたといわれ、寛文10年(1670年)には、357軒の屋敷が宿場に軒を連ねていたとされます。小諸城の城下町でもある約2.2キロの北国街道「小諸宿」は、商業拠点としても賑わい、江戸時代以降の明治・大正・昭和に至るまでの「商都・小諸」の繁栄の礎となりました。

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